政治を志した理由


少年〜青年時代

自然に恵まれた故郷で育ち、夏は虫取りとザリガニ釣り、冬は雪遊びとスキーを楽しみました。またSFと歴史の読書も好きで、中学時代に読書感想文で県知事賞を頂いたこともあります。

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その後、福井県立藤島高校を経て東京の中央大学に入学。人形劇サークルに所属して各地の施設や保育園をまわり、自作のプログラムを上演していました。子供と触れ合うのが好きで、養護学級や教育ボランティアの方々と関わらせて頂くことにより見聞を深めることができました。

親になった喜び

卒業後に就職し、27才で結婚。30才の頃に長女が、33才の頃に次女が誕生し、それをきっかけ禁煙しました。
marriage娘達の誕生は本当に嬉しく、心の支えになり、次女が物心付いた頃から子煩悩な父親として毎週家族4人で近くの公園にピクニックに行っておりました。自分にとって子育ては本当に人生の喜びを味あわせてくれた最高の経験でした。
また娘達が通う大沢小学校で教育ボランティアにも参加させて頂き、特別授業(パソコン)の担当として教壇に立つこともありました。

外資系企業への転職と、そこで実感した不安

35才の時に新しい世界を経験したいと思いたち、外資系のIT企業に転職しました。自分にとってはリスクもある決心でしたが結果として大成功だったとおもっております。そこで英語とプログラミングを徹底的に学び直し、さらに40代になってステップアップし、IT大手のサン・マイクロシステムズに入社しました。携わっていた業務は人材育成とプロダクトマーケティングで、米本社と連携するためにシリコンバレーにも何度も出張しました。

外資系企業に勤め、米国人の同僚と組んでビジネスに携わり、以下のことを叩き込まれたことは、私のビジネス観と組織観、政治観に大きな影響を与えました。

マーケティング(=顧客満足度の追求、戦略の策定、効果の可視化)

コンプライアンス(=法令遵守、人権擁護、パワハラ・セクハラの禁止)

レスポンシビリティ(=責任の明確な定義、顧客に対する説明責任、馴れ合いの排除)

プラグマティズム(=行動に結びつかない思索は意味が無い、誰かがやってくれるのを待つのはやめよう)

そして同時に、同業他社の日本企業の不振やデスマーチ(=プロジェクトマネジメントが破綻し不十分な人員と超過労働で作業を進めざるを得なくなる事)や先進国の企業では考えられないような粗暴な不祥事の頻発を見るにつけ「いまの日本は本当に大丈夫なんだろうか?」「そんなに遅れた組織論と人間観がまかり通っている状態で果たしてこの国は今後国際競争に太刀打ちできるのだろうか?」という大きな不安に駆られるようにもなりました。

1本の街灯を取り替えるのに、なぜ2ヶ月もかかるのか?

また、家庭でも、社会と地域に対して不安をもつ事件を経験しました。
娘がある日学校帰りに不審者につけられ、その夜の午前2時頃に玄関のチャイムが鳴らされるということがあったのです。
そして、その件に関しては警察署にパトロールというかたちで対応して頂き事なきを得たのですが、問題はそのあとでした。
その件があったとき私は自宅近所の街灯が1本切れていたことに気が付きました。そしてその交換を市に申し出たところ、付け替えてもらうまでに2ヶ月も掛かりました。
それは、自分が住む市の行政の非合理さを反映しているとしか思えませんでした。

「市の意思決定はどうなっているのか?」
「街灯と犯罪は密接な関係があって、アンケートでも市民の要望第一位が防犯だったはずなのだが、越谷市は市民のニーズとタスクの優先順位についてどう考えているのか?」

それは、先に述べた外資系企業に勤めることで実感した日本側の「遅れ」と、「娘達がこれから生きて行くこの国はちゃんとやっていけるのだろうか?」という危機感とも通底していました。

母親が要介護状態に

しかし「役所なんてそんなもの」「そんなことに悩んでいたらきりがない。とにかく自分の半径10メートルのことだけ考えていれば良い」と開き直る事も私にはできませんでした。
2012年、もともと膝が悪かった母が階段で転倒し、大腿骨を骨折してしまいました。
そして、数ヶ月後に退院はできたものの、家事をすることができなくなったので父と一緒に越谷市内の施設に入居することになりました。
そのとき、働き盛りで大きな職務も任されていた私は満足にサポートをできず、介護士の方やケアマネージャの方に大変お世話になりました。
今までどんなことがあっても自分を守り育ててくれた、元気だった親が衰えて自力で生活を行なえなくなる…
それは確実に、いつか必ず訪れることであり、誰にとっても「初めて」であると同時にショッキングな出来事ことであり、地域の助けなしに一家庭だけで背負いきれるものではありませんでした。
地域の方々の手助けがなければ、両親も、私の家族も、事実をどう受け止めたらよいのかわからぬまま将来を悲観していたに違いありませんでした。
そしてそれは、苦境であったと同時に、グローバル企業でのキャリアと娘達の養育を通して「社会」に対して抱いていた危機感が今度は両親の介護というかたちで「社会」の側から支えて頂くことによって結実した、崩れつつあり、必要であり、守らなくてはならないものとしての「地域」が浮かび上がってきた決定的な体験でもありました。

市政運営にはビジネスの視点が必要

世界中で事業を展開している企業で20年以上勤めてきた私には、1個の電球を付け替えるというサービスにすら2ヶ月もかかる市政に、非常に不安を覚えます。根本的なところで、市という組織が非常に古いロジックのまま運営されているのではないか、自分達の仕事を市民のニーズと結びつけて考えておらず、自分たちのペースで仕事をしているのではないかと思います。

自分自身が行動して改革をすすめることを決意

私は自分で行動を起こし、自分の経験を活かして市政をよりよいものにしていこうと決心しました。
幸い子育てもほぼ終わりました。自分の人生に後悔しないために行動するタイミングは今しかないと考えた次第です。マーケティングに長年携わった私は、顧客満足度という(民主主義の原則からすれば当たり前な)考え方を市政において徹底し、越谷市の魅力を向上させ、住みよい街を作ります。

グローバルビジネスで培った「常識」で徹底した市民サービスを推進することが出来ます。

私は、安心・安全な越谷市を皆様と一緒に作っていくために、お役に立ちたいと強く願っています。