これからの公共事業のあり方について

一般的に、公共事業といいますのはピラミッド建設の時代から官による「計画」的な「供給」(=箱物、労働による分配、需要喚起)として行なわれてき ましたが、まちづくりの研究者でありまた数々の地域振興プロジェクトに携わってこられた木下斉氏は、これからの人口縮小時代においてはむしろ実情に合わせ た漸進的な「需要」ベースの事業に切り替えるべきであると主張されています。

http://toyokeizai.net/articles/-/64736

まず、物事を「計画」に沿って行なうというやり方には、
1)計画段階が一番情報が少なく工程が進むにつれ情報が増えて行く
2)現状を踏まえた理性的な判断よりも計画当初の青写真や「建前」に縛られるようになる
という根本的な問題があります。加えて、公共事業という民主的に行なわなければならない事業の場合は様々な関係者や住民の合意をとらなければなりません が、「皆の意見」というのは原理的に「総論賛成、各論反対」になりますので、優先順位をつけてある部分を削るということができず、結果的に直近の皆の利益 になる「あれもこれも」なものになってしまいます。

そして、「計画」というものが持つそれらの欠陥を踏まえた上で、木下氏は産学連携で構想を建てつつも事業は民間主導で行い成果をあげている「北九州小倉家守(やもり)構想」を挙げ、これからの地域振興は
1)責任の所在を明確化した上で
2)成功時と失敗時の扱いを事前に取り決め、
3)担当者が責任を負いきれる範囲の小さい規模から
4)「需要」にあわせて伸びしろを調整しながら柔軟に行なう
というレジームを提唱されております。

http://yoshito-terashima.com/%E9%81%93%E3%81%AE%E9%A7%85%E…/

私は以前、道の駅事業についての感想を書かせて頂きましたが、民と官に関わらず事業というものの最も重要な原則は「リスク」と「経営権」と「責任」が一致していることです。
それは木下氏の議論とも通底していますし、また、その原則に則って事業を行なうのであれば氏が掲げたようなメソッドに従って行なうことになると思います。

私の子育てと「女の子」らしさについて

我が家では、2人の娘の子育てについて特に語れるようなことはやって来なかったのだが、一つだけ意識して使わなかった言葉がある。それは正しかったと今もおもっている。

その言葉は「女の子なんだからナニナニしなさい」あるいは「女の子なんだからナニナニしてはいけない」。ある意味では「世間の常識」を教えてこなかったのかもしれない。これから娘たちが「女なのにお茶もいれない」っていわれて当惑することがあるかもしれないが、そんなことは自分で乗り越えてうまくやっていってくれるはずだ。それよりも可能性を制限されない人生を送ることのほうがすばらしく価値がある。

http://www.huffingtonpost.jp/…/29/like-a-girl_n_5540800.html

東日本大震災四周忌と東京大空襲について。

昨日は3.11の4周忌であり、その前日である3.10は戦時中に東京大空襲があった日ですが、最近、この事件に関して驚くべき記事がありました。
要約しますと、空襲になる前の時点で政府は焼夷弾の威力を知っていたにもかかわらず、国民の士気を低下させないためにわざと「大したことはない」「砂や水 をかければ大丈夫」と過小評価した「安全神話」を布告し、報道を遮断し、また被災後も市民の避難を禁じたという内容です。

http://synodos.jp/politics/13238

戦時中と平成に起こったことを比較するのは慎重を期すべきではありますが、私はやはり、戦時中の内務省と現代の政治家ないし行政官には精神の面で通底したところがあり、キーワードは「信頼」だろうなと考えています。
たとえ、制度としての民主主義や諸権利を守る仕組みが確立されても、「市民なんてこんなものだ」「私が彼らを管理し導いてやらねばならない」という、自分 たちを選んだ市民を信頼せず、自己愛に基づいたニヒリズムを克服しないまま統治の論理だけで世の中を回すことには限界があり、それは必ず破綻を来します し、その信頼の確立なくして民主主義が根付いたとは言えないのではないかということです。

そして、災難に直面している個人が、どう考えてもこうすべきだという答えが自分で分かっているにも関わらず、自分ではない誰かが決めた規制や統治や「空気」によってそれを行なえないまま死を強制されることほど悲しむべきことはこの世に存在しない、と強く思います。

私は以前、日本における「武士」の道徳と「商人」の道徳について述べた記事を紹介しましたが、クレジットカード審査のような条件つきの「信用」とは違い、「信頼」というのは相手を無条件で信じる「商人」の側の徳です。
自分が何をなすべきかについては官僚でも学者でも政治家でもない自分自身が一番よく知っていて、また他人もそうであり、ゆえに皆が自分の意思に基づいて行 動する市場(=市民)は常に正しく、それと関わりの中で問題が起きた場合はまずは自分のアプローチが間違っていたのではないかと疑うべきだということで す。

http://yoshito-terashima.com/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E5%8C%A1%E…/

そして、それには当然、公平性と透明性を何よりも重視し、裁量ではなくルールを重視し、情報公開は義務としてではなく「市場」の審判を受けて正しく反省し 次に活かすためのチャンスとして積極的に行うべし、という規範が導きだされますし、また、それが貫徹された社会は原理的に「人災」被害者が発生しないので はないかと思います。
私がHPで市政の側に身につけて頂きたいと繰り返し述べているマーケティングの感覚というのはつまるところそういったことであり、また、それはどのような 党派の人間であっても最低限身につけて頂かねば困るという意味で、あらゆる思想信条よりも重要なことであると信じています。
私は本日、過去この国で亡くなった全ての「人災」犠牲者に哀悼の意を表明し、このような災厄が二度とこの国で起きてしまわないよう、万人を信頼し、万人の前に情報を公開し、過ちの指摘に感謝しつつ、日々精進して参りたいと思います。

車椅子生活者の日常の困難について

車椅子生活者にとって日常や建物の構造のどういった部分が困るかを指摘した、非常に参考になる記事でした。
バリアフリーは市政が執り行うべきカテゴリーであり、マニュアルやノルマを達成しただけの杓子定規なものになってしまわないよう、当事者の声から学ぶ必要があります。

http://synodos.jp/society/13024/2

以下、要点をまとめます。

1.床ずれ:健常者でも座りっぱなしはきついですし、特に半身麻痺の方は気軽に座り直しができません。
2.バス:揺れるバスの上でさらに車輪が揺れ、また車椅子にはシートベルトがないので、不安定で乗り物酔いもきついそうです。
3.駅のホームと電車の高低差
4.階段:1段は女性のヘルパーでギリギリ。2〜3段は手すりがないと不可能。5段になると手すりがあっても不可能
5.とびら:ファミレスの二重扉はきついとのことです(ヘルパーは片手を車椅子のグリップにあててもう片方の手でドアを開けなければならないため)。店員の方や見かけた方は扉を押さえましょう。
6.車椅子から席への移動:要介護者の方の体に触れるのはヘルパーの方にまかせて、手助けをする人は車椅子を押さえて移動させる役割に回ること。

寺島よしと後援会事務所開きのお知らせ

謹啓、早春の候、皆様にはお健やかにお過ごしのことと存じます。日頃より、寺島よしと後援会活動にご協力をいただき有り難うございます。

さて、寺島よしと後援会事務所開きを下記のとおりに開催いたします。つきましては、公私共にご多用のことと存じますが、ご臨席いただきご激励を賜りますようよう謹んでご案内申し上げます。

日時: 2015年3月1日(日) 13:00〜13:30
場所: 寺島よしと後援会事務所 〒343-0026越谷市北越谷2丁目22-13
Tel:048-973-7691
Fax:048-973-7692

(上記の番号は3月1日使用開始です。お問い合わせなどは次の番号にお願い致します。090-2768-8560)