日本の「部活動」の特殊さについて(2015年02月25日)

私は先日、橋下市長の部活動外注化の提案について書きましたが、身体教育学の専門家である中澤篤史氏によればやはりこの「運動部」というシステムは世界的に見て特殊なようです。

http://synodos.jp/education/12417
http://yoshito-terashima.com/%e9%83%a8%e6%b4%bb%e3%81%ae%e5%a4%96%e6%b3%a8%e5%8c%96%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%ef%bc%882014%e5%b9%b410%e6%9c%8802%e6%97%a5%ef%bc%89/

日本の運動部の特殊さは、
1.ほぼ学校のみで行なわれており
2.非常に多くの関連団体があり
3.加入率が高く
4.活動時間が長い
ということです。

まず、中澤氏は子供がスポーツに参加する場に注目しており、地域が中心となっている北欧先進国や学校と地域の両方に倶楽部がある英米などのアングロサクソン諸国に比べ、日本は圧倒的に「学校中心」であるとしています。

また、学校の部活で行なわれている種目が30種類と非常に多く、それと同じだけのスポーツ連盟が存在し、言い換えれば日本人にとっての「スポーツ」の概念はほぼ「学校」が形作っていると言えます。

さらに、日米英の三か国で比べた場合、シーズン制を敷いている米国や週に2~3回ほどしか行なっていない英国と比べて、日本は圧倒的に活動時間が長くかつ加入率が高いと言われています。

ここで私が注目したいのが、日本の部活動は一体何のために行なわれているのかということです。
たとえば、それが全てでないことはわかるものの、単純にスポーツを振興してオリンピックで金メダルをたくさん取りたいというのであれば、これだけ多くの子供達が参加して多量の資本と時間が投入されているにもかかわらずメダル数は人口が日本のはの半分程度のフランスや6分の1のオーストラリアよりも劣る成績であり全く効果を上げていません。
また、学校を卒業したのちの健康寿命や成人のスポーツへの参加率という面でも、他国より特別優れているというわけではありません。

http://www.ssf.or.jp/archi…/sfen/opinion/opinion_050915.html

中澤氏は記事の最後の図で日本の部活動を「人格形成」と述べておりますが、私から言わせれば、そこで形成される「人格」というのは、上記の分析を踏まえれば、

1.社会の中心は一つである(=学校中心)
2.中心での活動に全てを捧げよ(=高い加入率)
3.上下関係を尊守せよ(=先輩後輩、年功序列)
4.ダラダラとでもいいから最後まで持ち場を離れるな(=生産性の低い長時間活動)

ということになるのであって、それはまさに今現在様々な限界が指摘されている終身雇用を前提とした正社員システムであり、また、ホームレスや社会的弱者などの「中心」からドロップアウトしてしまった方々に対して非常に厳しい精神性とも通底しているとも思います。

私は、正社員システムを必ずしも否定しませんが、これから人口減社会を迎える日本は一人一人が個人として自立し諸外国の労働者に負けないよう生産性を高めていかなければならなくなると考えており、そういった時代の流れと上記のような部活動で養われる「人格」はますますかけ離れていくのではないかと思います。

子供達の自主性や幅の広い人間感を養うことを目的とし、学校での勉強を阻害しない程度のレクリエーションにダウンシフトするか、本気でやりたいのであれば素人の教員ではなくプロによる適切な指導の下で上を目指す(=時間あたりの効果を追求する)方向にシフトしていく必要があります。

アベノミクスについて(2015年02月20日)

基本的に市議の仕事というのは市政の現場で育児や高齢者福祉など生活に密着した政策を遂行することで、市議会で景気や金融を議論することはないのですが、そうではあっても、私は自分たちの市や社会の未来を考えるために国家の支配的な経済政策がどのようなロジックで動いているのかを知る必要があると考えています。

今現在私が著作を読んでいる若田部昌澄氏はアベノミクスの理論的支柱といわれている「リフレ派」の経済学者の代表的論客の一人で、ノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマン氏から推薦を受けた新書が現在話題になっています。
また、少々古いですが、以下二本の記事の中でも解りやすくアベノミクスの背景の解説と評価を行なっておられます。

http://shuchi.php.co.jp/article/1495
http://shuchi.php.co.jp/article/1496

マクロ経済学の精通しているわけではないので、まだまだ咀嚼できていない部分もありますが、氏がアベノミクスが成功したのちにあるべき国のかたちとして提示されている「オープンレジーム」と「政策イノベーション」の概念の理解は市政に携わる人間にとっても重要だと思います。

以下、市政にも関わる重要な概念と経済の部分に分けて、「これだけは」と思うものを要約します。

【市政に関わる部分】

・オープンレジーム
→行政官個々人による判断や既得権益者の圧力に依拠した「裁量」よりも、新規参入者にも平等に開かれた「ルール」と「枠組み」を重視する政策思想のことです。若田部氏曰く、政策にまつわる思想はその違いから主に「オープンレジーム」と「クローズドレジーム」に分けられ、氏は前者への移行を推奨しています。
例えば、「オープンレジーム」な制度の下では産業政策は上から目線で恣意性が入りこみやすい「補助金」というかたちではなく、市場の個々のプレイヤーの自主性を重視し平等に民間側のお金を増やす「減税」という形でなされます。
また、生活困窮者への支援に関しては、現状のように役所の職員の判断によってその人の生き死にが左右されるような状態ではなく、ある一定基準を満たせば人間の判断をへずに受給の可否と受給額が決定される「負の所得税」や「ベーシックインカム」のような形態になり、市議や役所の役割も困窮者を窓口でブロックする等して見かけ上の生活保護額を減らすことではなく、どうやって生産の場への復帰を促し貧困の連鎖を断ち切るかの出口戦略に注力するという「入り口は広く、出口も広く」なかたちになるでしょう。

http://shuchi.php.co.jp/…/imag…/article/zu_wakatabe_hyo2.jpg

・政策イノベーション
政治家が注力すべきなのはあくまで規制緩和や金融政策などの政治家だけにしかできない制度面でのイノベーションであり、産業政策などの上からの介入で産業上のイノベーションを無理矢理起こそうとするような施策は控えるべきだということです。
若田部氏いわく、日本はすでに他の先進国で実施されているオープンレジームな政策の構築では大きく遅れをとっていますが、逆にいえばすでに様々なことがやり尽くされ壁に直面している欧米諸国に比べてそれだけキャッチアップの余地があるということであり、チャンスであり、職業としての「政治家」の役割は今後もっと重要になってくると言えます。

【国家経済の部分】

・デフレ
→市場に出回るマネーの量が少なすぎることで発生する貨幣現象のことです。
基本的にデフレ経済下では
1)物の価値がマネーに比べて相対的に下がるので、これから働いて稼ごうという人や消費意欲のある若者や現役世代よりもすでに資産を持っている人の方が有利である
2)現役世代の生産やイノベーションに回るような株式の購入や投資よりも、利率は低いが大量に購入すれば低リスクで安定した利益が出る国債の方が商品価値が高くなってしまう
3)商品の値段に比べて労働者の賃金は下げづらいため、企業は売値の下落による収益悪化を雇い控えや労働環境の切り詰めで対応しようとする
と言われ、90年代後半から現在に至る不景気の主原因であると言われています。

・リフレーション
→金融緩和(=日銀による国債買い入れ等)によって市場に出回るお金の量を増やし、市場の「将来的に株や資産の利率はこれくらい 上がるだろう」という予想インフレ率を上げることで、資産家や企業のムードを「溜め込みよりも投資をした方が得だ」という方向に誘導し、デフレを脱却して 景気の回復を図る経済手法です。また、景気回復による税収増と年率2%程度のルールに沿ったマイルドなインフレが起こることで、いわゆる「国の借金」も返済可能になります。

・アベノミクス
→大胆な金融緩和(=第一の矢)をやりたかった安倍首相と、財政政策(=第二の矢)がやりたかった麻生太郎氏、国家主導の成長戦略(=第三の矢)がやりたかった甘利明氏という三人の政治家の意向が合わさって出来た脱デフレのための経済レジームのことです。そして、これらのうちでリフレーションがバックボーンとなっているのは主に第一の矢です。

・リフレ派
→基本的にアベノミクスは金融緩和に強い関心を持つ安倍首相の意向で実施されたものですが、リフレーションという手法それ自体を評価する人(あるいはそれに反発する人)は与野党を問わずいらっしゃるそうです。具体的には、自民党で最古参のリフレ派は福岡7区の山本幸三氏であり、また、野党である民主党でも馬淵澄夫氏や金子洋一氏、宮崎タケシ氏などがリフレ派を自認しておられます。
また、彼らは基本的に中~低所得層を痛めつけ消費を冷え込ませる消費税増税には反対の立場です。

・若田部氏のアベノミクスに対する評価
以下の図が非常にわかりやすいのですが、リフレ派の人達は大規模な金融緩和を行なうことで「ドミノ倒し」的に消費増加や円安による輸出増加、投資の拡大が起こると想定しており、その点で第一の矢を非常に高く評価しておられます。しかし一方で、経済政策の3つの柱(*)の一つである再配分の面で、生活困窮者が保護を受けづらくなる生活保護法の改正案には重大な懸念を表明しており、またデフレ脱却後のビジョンが不明瞭であることや、今現在のリフレ政策自体が「ルール」ではなく安倍首相や黒田総裁といった個々人の意向により過ぎていることから、改良が必要であると述べられています。

http://shuchi.php.co.jp/userfiles/…/article/zu_wakatabe3.jpg

*経済政策の3つの柱
①「不況を克服する」(安定化)
②「経済成長を維持する」(効率化)
③「誰もが人並みの生活をおくるれるようにする」(所得再分配)
http://www.yomiuri.co.jp/…/wol/opinion/gover-eco_090928.html

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%82%B9-PHP%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%8B%A5%E7%94%B0%E9%83%A8-%E6%98%8C%E6%BE%84/dp/4569824226/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1424226401&sr=1-1&keywords=%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%82%B9

寺島よしと後援会事務所開きのお知らせ

謹啓、早春の候、皆様にはお健やかにお過ごしのことと存じます。日頃より、寺島よしと後援会活動にご協力をいただき有り難うございます。

さて、寺島よしと後援会事務所開きを下記のとおりに開催いたします。つきましては、公私共にご多用のことと存じますが、ご臨席いただきご激励を賜りますようよう謹んでご案内申し上げます。

日時: 2015年3月1日(日) 13:00〜13:30
場所: 寺島よしと後援会事務所 〒343-0026越谷市北越谷2丁目22-13
Tel:048-973-7691
Fax:048-973-7692

(上記の番号は3月1日使用開始です。お問い合わせなどは次の番号にお願い致します。090-2768-8560)

渋谷区の同性愛カップル認定とそれに関する言説について(2015年02月17日)

東京都渋谷区は同性カップルに「結婚に相当する関係」と認める証明書を発行する条例案を区議会に提出しました。可決されれば4月1日に施行されるそうです。
現在、同性愛者の方々はパートナーと法的に婚姻関係を結べないことで引っ越しや病院の手術同意書等で不利な状況に置かれています。今回の条例は違反した業者を公開することも盛り込んでいますので、そういった状況の改善に効果があると思います。

http://news.livedoor.com/article/detail/9775209/

ところで、同じ渋谷区が行った昨年末のホームレス排除と今回の同性愛者の地位向上政策は同じオリンピックの地ならしのための「ピンクウォッシュ」(*)であると批判する方もいます。しかし、たとえそのような意図があったとしても、人権を天秤にかけるべきではありませんし、それを理由に賛否を決めるのではなく、個別の施策ごとに賛否を決めていくべき
だと考えています。私は昨年末に渋谷区が行なったホームレス排除には反対意見を表明しましたが、この同性カップルに対する条例には賛成です。

*:野宿者や社会的弱者の生存権に関わる強硬な政策を実現するために、バーターとして性的マイノリティの地位向上や男女共同参画など財政負担が少なく富裕層や文化人に支持されやすい政策を行なうことで批判をかわす策略のこと。代表的な事例としては、性的少数者の権利擁護をパレスチナ侵攻の正当化に利用したイスラエルの宣伝が挙げられている。

ペットの大量遺棄事件について(2015年02月12日)

最近山林でのペットの大量遺棄の報道が目立ってきています。
埼玉の近郊でいえば、元ペットショップの店員が栃木県の鬼怒川河川敷に40頭の犬の亡骸を遺棄して逮捕された事件がありましたが、同様の事件は群馬、山梨、埼玉、佐賀でも発生しています。

http://news.livedoor.com/article/detail/9496507/

ペット業者からの犬の引き取りを自治体が拒否できる改正動物愛護法が施行されたのは昨年2014年のことです。帳簿の登録や健康安全計画の作成を義務化するというそれ自体決して悪い法律ではないものの、繁殖工場で子犬を大量に生ませオークションで販売するという大量生産モデルから業界と飼い主側が抜けきれていません。

現在、ペットショップで売られている犬の多くは個人経営のブリーダーではなく繁殖工場という金網に閉じ込めた母犬を死ぬまで糞尿を出しっ放しの劣悪な環境で子犬を生ませ続ける施設の中で「生産」されています。そして、競りにかけられてペットショップに届いたのちも、一般的に市場での取引価格は成犬よりも子犬の方が高いので、同じショウケースのスペースを占めさせるのであれば売れ残った犬を処分して新しく仕入れた子犬を据えた方がいいということになってしまうため、次から次へと処分されてしまうのです。

http://synodos.jp/society/12723

もっとも、この問題を調査研究している朝日新聞メディアラボの太田氏曰く、自治体での殺処分自体は順調に減少しているとのことで(太田氏が取材を始めた頃は8万頭ほど、2012年は39359頭。過去には20~30万頭処分されていた時代もあり)、恐らく業者によって不法に遺棄されている頭数を含めても減少しているとは思うのですが、ペットを飼う側にも規制を敷き義務が課せられるドイツのような先進国の水準にはまだ至っていません。

そして、今すぐ業者や消費者に対して全面的に業態や意識の改革を求めることは難しいものの、行政とメディアという2つのファクターのそれぞれに対して、太田氏は以下の提案をしています。

【行政】
→「嫌われる行政」になることを覚悟して業者と飼い主に圧力をかけること
→指標は返還率と譲渡率
→譲渡に関しては、譲り渡しを個々人に限定せず動物愛護団体などへの団体譲渡を認めること
→業者の監視や指導はアポをとらずに抜き打ちで行なうこと
→定時定点回収はやめましょう(いわゆるゴミ回収と同じシステムで動物を引き取ること。茨城ではすでに取りやめ、殺処分件数を減らしている)
→熊本県は安易に引き取りを求めてきた市民に対して説得を行なっている
→愛媛県は殺処分の現場を飼い主にみせるツアーを行なっている

【メディア】
→動物やペットの「かわいさ」を前面に押し出した番組づくりは自重すべきではないか?
→共に生き、共に老い、死ぬまで面倒を見るという命を扱うことの本質から目を背けさせている
→「動物は視聴率がとれる」という安易な考え方を止める
→殺処分をなくすことについての啓蒙をする

薬物依存とSMARPP活動について(2015年01月29日)

元来、薬物依存者に必要なのは「罰」ではなく「治療」なのではないかということはたびたび指摘されてきましたが、この記事の執筆者である精神科医の松本氏も同様の見解を述べられた上で、釈放後も継続的に治療が行なえるような仕組みづくりを提案されています。

http://synodos.jp/welfare/12157

薬物依存の治療はお金のように貯めることができないため継続して通い続ける必要があり、かつ参加率を上げるためには出来るだけ各地域でそれを受けられるような環境を整える必要があるわけですが、現在は薬物依存専門の医師が少ないためにほとんどそれが行なわれていません。

それに対し松本氏が行なっておられるSMARPP(せりがや覚せい剤依存再発防止プログラム)活動では、医師資格がなくともアメリカの同様の治療メソッドと認知行動療法に基づいたマニュアルで研修を受ければ職員になることができ、依存症患者への定期的な連絡や来訪しやすい雰囲気づくりの面でも工夫がこらされ、かつ実際に継続率や他の自助プログラムへの参加の面で高い成績をあげておられるとのことです。

現在、このSMARPPをベースにしたプログラムは全国70カ所で準備中もしくは展開済みであり、また、少年院などの未成年の薬物依存患者にも2012年から試験的に実施されています。

また、なぜ犯罪者のためにそこまでコストを払わなければならないのか、という意見はあるかとは思いますが、私は、例えばある若い常習者が初犯の薬物依存から抜け出せずに人生を丸ごと駄目にしてしまうことにかかるコスト(=機会損失、治安コスト、収監費用など)や、脱法ドラッグや精神安定剤などの法的に取り締まりが難しい薬物への依存が近年増加していることなどを考えると、こういった取り組みに対して投資を行なう価値(=便益)は十分にあると思います。

薬物依存から肉体的にも社会的にも自律を取り戻し、真に自由な人生を送り直せるようになるためのこういった施策が普及して行って欲しいなと思います。

反社会的消費者と日本社会の特徴について(2015年01月28日)

「モンスタークレーマー」の存在は以前から指摘されておりましたが、最近はより悪質化しているようで、この記事ではさらに一歩踏み込んだ表現で、「反社会」化していると述べられています。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO81919230U5A110C1000000/
コンビニでの土下座強要事件や虚偽の異物混入で青年が逮捕された事件は記憶に新しいですが、最近は罪に問われることをためらわない自暴自棄な反社会的消費者タイプのものが目立ってきており、鉄道での駅員への暴行も増加(14%)しています。

また、この記事の後半部では最近増えている新手のクレーマーとして60代以上の男性による長電話が指摘されており(*)、元管理職の男性が商品の製造工程の見直しや今後の再発防止策について延々と問いつめたあげく「報告書」の提出を要求するなど、現役時代の地位と引退後の時間的余裕を笠に着た悪質な事例が挙げられています。

電話によるクレーム対応は従業員が気を病んでしまう場合が多く、この記事では近年急増している会社員の気分性障害(1999年に比べ2倍に増加)の原因の一つはクレーマーの悪質化であると指摘されており、これらの行為に支払われる社会的コストは決して安くはありません。

元来、日本は生産者よりも消費者優位の社会であることは何度も指摘されています。それは環境省や消費者庁の設立など消費者や住民の側の権利を守る取り組みが成功してきた一方で、長時間労働の防止や同一労働同一賃金原則など、労働者側の環境改善が進まない日本の政治状況などをみると明らかです。

欲求不満のはけ口を、言い返せない弱い立場の人々にぶつける一方で、自身は弱者ないし不当に虐げられた被害者であり自分のやっていることは「義挙」であると信じているクレーマーの精神性は、近年のホームレスへの暴力や生活保護へのいわれなき偏見を強化する言説と通底しています。

そして、こういったタイプの暴力をどう抑制すべきかについては記事では電話応対からメール応対への切り替えなどが挙げられていますが、私としてはやはり、彼らには市政や自治活動などの、意思決定に参加できる一方で言動に責任が伴う場に参加してもらい、己の立ち振る舞いを振り返りつつそのエネルギーを意味のある活動に注いでもらえるような、そういった環境をつくることなのではないかなと思います。

なお、反社会的クレーム行為と法律の対応は以下の通りです。

土下座の強要:強要罪
居座り:不退去罪
お金の要求:恐喝未遂罪
大声を出す:威力業務妨害
異物混入と嘘をつく:偽計業務妨害罪

*コールセンターへのクレーム全般における割合も60代以上が最も多いことが指摘されています。

道の駅事業の惨状と経営倫理について(2015年01月23日)

通常、健全な私企業の経営では「リスク」と「決定権」と「責任」の主体が一致しています。そして、産業政策や公共事業に関わる失敗のほとんどはこの原則からの逸脱から起こっています。

http://toyokeizai.net/articles/-/58373
それは、第三セクターや自動車業界再編計画などの官僚主導の事業の多くが失敗してきたことや、オーナー株主でなくリスクを負っていない社長の下で無責任な拡大方針に走り経営破綻したそごうのケースなどから明らかであり、要するに税金を使った事業はこの原則が守られていないということです。

そして、この記事で指摘されている道の駅事業は、初期投資のリスクを負わなくてよく、その代わりに経営に対して地産地消などのノルマが課せられるなど、原則から大きくハズレています。
発生する赤字は、税金から払い続けることになるわけですので、我々市民にとって非常に重要な問題です。

筆者が民からの地域振興の成功例として提示している岩手県紫波町のオガールの紫波マルシェが、銀行から資金を借りてリスクを負うかわりに完全な経営権を手にし、無理のない初期投資と柔軟な運営で黒字を出していることからも、この原則がいかに重要であるかは明らかです。

国交省のコンパクトシティ構想と政治(2015年01月20日)

我々が住む「市」という行政単位について、考察した面白い記事でした。都市としてのコスト削減や、コミュニティの再生などの解決策として提示されていたコンパクトシティ政策実現の困難さを政治学の立場から論じています。

http://synodos.jp/politics/6143

従来は市制において最も重要なのは「集積」でした。経済や商業の集積地である都市部に投資を行なうことはその周辺に住み労働力と消費を提供する郊外住民の利益とも一致していたものが、モータリゼーションやショッピングモールの登場などにより集積地が郊外に移動し、分散型の社会になってきた現代においてその図式は崩れつつあるという趣旨です。
そしてその上で、筆者は政治制度を改めないまま市の産業や商業地区を政治的に集積しようというコンパクトシティー構想に対して疑義を提示しています。

以下、重要な単語や概念をまとめてみます。

記事の問題設定:集積地の発展が郊外住民の利益と結びつかなくなってきた現代において市制はいかにあるべきか。
集積地:市の商業や消費が集まった経済の駆動部。しかし、地価の高止まりや技術的環境の変化(鉄道、モータリゼーション等)により人口が高止まりし、現在の人口割りの選挙制度では発言力が弱い。
郊外:労働者やその家族が住む住宅地。現在の選挙制度では多くの票を持ち、発言力が強い。
戦前の集積地:古くから歴史がある市街地。
戦後の集積地:鉄道駅周辺。
最近の集積地:より郊外の住宅地に近いショッピングモールなど(モータリゼーション)

従来の市政のメソッド:いわゆる「都市計画」。起源は人口増加と経済発展が前提となっていた戦前の市政交付(明治21年)で、人口が集中する都心部の開発を行うとともに、人々の寝所となる郊外の宅地を開発し、また、工場や貧困地域などの「悪所」を改善するというもの。

コンパクトシティ構想:地方の人口減少と市街地の空洞化への対策として、居住地域と商業施設と医療施設を都市部に集約させ、効率化と住環境の向上をはかる施策。しかし、この構想を実現するためには都市部が政治的リーダーシップを発揮しなければならないのだが、現在の選挙制度では難しい。

コンパクトシティ構想の分かりやすいイメージ
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/service/newsletter/i_02_68_1.html

現在の市議会の選挙制度:現在の区割りが厳密にされていない大選挙区制の市議選においては、面積が広く市議の棲み分けができている郊外出身の議員に比べて面積が狭い都心部出身の議員は互いに競合しがちになり、都心部の利益を代表する安定した政治勢力は生まれづらくなってしまう。また、市議会がそういった状態であると、市の全域から票を集める市長や府県議会議員からすれば都市部の再開発よりも議会から独立して市内全域の郊外住民から広く票を集められる交通機関への投資などの政策の方がインセンティブが働くため、結果的にコンパクトシティ構想と対立する。

日本の宗教観について(2015年01月19日)

ある僧侶の方が、「日本における宗教の寛容さ」についてTEDでプレゼンをされています。

確かに、日本は欧米や中東諸国のように宗教を対立軸にした深刻なコンフリクトがほとんど発生していない国です。

http://logmi.jp/34073

しかし一方で私は、このプレゼンで述べられている「日本人の寛容性のある宗教観」は、他の国々に輸出して定着させられるほどの普遍性をもったものなのかなという疑問があります。

日本の政教分離というのは、世俗的な価値観を持った信長と秀吉が宗教弾圧を行い、家康が檀家制度で仏教を骨抜きにして「葬式仏教」にしてしまったことにより、日本人の「宗教」に対する考え方が、ラディカルなものから、そういった無害なもの(=葬式の時にだけ出て来るなんとなく厳かな規律の集まり、汚したり馬鹿にしたりすると怒られる何か、賽銭や寄付をするとご利益があるありがたいもの…etc)に変質してしまった結果ではないかと思っています。

いずれにしても、この日本人の宗教意識の希薄さは、良い悪いの問題ではなく、確かに事実だとおもいます。また宗教対立のすくない平和は続いていってほしいと思います。