東日本大震災四周忌と東京大空襲について。


昨日は3.11の4周忌であり、その前日である3.10は戦時中に東京大空襲があった日ですが、最近、この事件に関して驚くべき記事がありました。
要約しますと、空襲になる前の時点で政府は焼夷弾の威力を知っていたにもかかわらず、国民の士気を低下させないためにわざと「大したことはない」「砂や水 をかければ大丈夫」と過小評価した「安全神話」を布告し、報道を遮断し、また被災後も市民の避難を禁じたという内容です。

http://synodos.jp/politics/13238

戦時中と平成に起こったことを比較するのは慎重を期すべきではありますが、私はやはり、戦時中の内務省と現代の政治家ないし行政官には精神の面で通底したところがあり、キーワードは「信頼」だろうなと考えています。
たとえ、制度としての民主主義や諸権利を守る仕組みが確立されても、「市民なんてこんなものだ」「私が彼らを管理し導いてやらねばならない」という、自分 たちを選んだ市民を信頼せず、自己愛に基づいたニヒリズムを克服しないまま統治の論理だけで世の中を回すことには限界があり、それは必ず破綻を来します し、その信頼の確立なくして民主主義が根付いたとは言えないのではないかということです。

そして、災難に直面している個人が、どう考えてもこうすべきだという答えが自分で分かっているにも関わらず、自分ではない誰かが決めた規制や統治や「空気」によってそれを行なえないまま死を強制されることほど悲しむべきことはこの世に存在しない、と強く思います。

私は以前、日本における「武士」の道徳と「商人」の道徳について述べた記事を紹介しましたが、クレジットカード審査のような条件つきの「信用」とは違い、「信頼」というのは相手を無条件で信じる「商人」の側の徳です。
自分が何をなすべきかについては官僚でも学者でも政治家でもない自分自身が一番よく知っていて、また他人もそうであり、ゆえに皆が自分の意思に基づいて行 動する市場(=市民)は常に正しく、それと関わりの中で問題が起きた場合はまずは自分のアプローチが間違っていたのではないかと疑うべきだということで す。

http://yoshito-terashima.com/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E5%8C%A1%E…/

そして、それには当然、公平性と透明性を何よりも重視し、裁量ではなくルールを重視し、情報公開は義務としてではなく「市場」の審判を受けて正しく反省し 次に活かすためのチャンスとして積極的に行うべし、という規範が導きだされますし、また、それが貫徹された社会は原理的に「人災」被害者が発生しないので はないかと思います。
私がHPで市政の側に身につけて頂きたいと繰り返し述べているマーケティングの感覚というのはつまるところそういったことであり、また、それはどのような 党派の人間であっても最低限身につけて頂かねば困るという意味で、あらゆる思想信条よりも重要なことであると信じています。
私は本日、過去この国で亡くなった全ての「人災」犠牲者に哀悼の意を表明し、このような災厄が二度とこの国で起きてしまわないよう、万人を信頼し、万人の前に情報を公開し、過ちの指摘に感謝しつつ、日々精進して参りたいと思います。