日本衰退論への疑問:自治体の生産性向上の余地について


近年、政治に関する言説で疑わしいなと思うものの一つに、
「日本は少子高齢化により人口が減少するので、これ以上成長できない」
というものがあります。

私が子育て支援を推進しようとしているのは、子供を持ちたいと思う人が持てるようになり、それによってよって人生を豊かにし、子供の歓声が街にあふれることで街に活気がでて、みんなが夢を持てる社会にしたいからです。
人口を増やさなければ撤退戦を生き残れないとか、財政破綻するとか、そういった後ろ向きな動機で主張しているわけではありません。

例えば、先日紹介させて頂いた木下斉氏は、人口ばかりに注目して「生産人口×生産性」という経済の原則の「生産性」の部分に目を向けない議論に苦言を呈しています。

http://blog.revitalization.jp/?eid=810920

ドライバーしか持たない労働者3人よりも電動ドライバーを持つ労働者1人の方が高い生産性をもち、またそれによって生まれた余剰を別の部分へ投資する(も う一台電動ドライバーを買う、余った人員を生産管理や教育や拡販に回す)ことが可能になるわけですが、木下氏は現代には電動ドライバーよりも遥かに強力で かつ人の生産性を上げる「IT」という武器あると述べています。

高い交通費と時間を使わずともSkypeで遠く離れた人同士でミーティングを行なうことは可能ですし、Google Docsを用いれば机を並べずとも共同で執筆を行なうことができます。
従来は、電話会議も、作業管理システムも、ホワイトボードのある会議室も、それなりの規模の企業にしかなかったわけですが、今では誰もが無料で使うことができ、数人の仲間でもそれらを用いて大企業に負けない事業と活動を行なうことが可能になっています。

また、IT企業に勤めていた私からみると、日本は先進国に比べてそれらの活用が大幅に遅れています。先ほどのドライバーの喩えでいえばほとんどの人がまだ手回しのドライバーを使っているような状況だと思います。
木下氏は、女性や高齢者が生産に関わるハードルを下げ、共に学びこれらのツールを駆使することで少子高齢化に対応した新しく豊かな社会を築くことは可能であると述べています。

そして、この「生産性」の観点からもう一度越谷市を考えてみると、越谷市においても、少子高齢化が衰退にすぐつながるという図式は当てはまらず、むしろ以下に記すような活かされていない人や資源を「攻め」に使う戦略こそ必要なのではないかと思います。

1.失業者
越谷市は労働人口の6%(2010年)に及ぶ10137人の失業者がいます。
完全失業率というのは働く意志がありかつ実際に求職をしているにも関わらず働けない人々のことです。彼らは生産に携わることができず、また、所得と、将来的にそれが伸びて行くだろうという希望もありませんので消費にも限定的にしか関われていません。
彼らの存在に言及せず、彼らを活かすことが出来ていない状態で、人口が足りない、衰退するしかない、という議論を展開するのはおかしいのではないでしょうか?

2. 低い生産性
我々の社会はこれ以上成長しない、という議論がなぜ世間でもてはやされるかといえば、それは「自分たちはすでに成熟しきっている」「最先端で効率化されつ くしているのだからこれ以上成長の余地などあるわけがない」という自虐と表裏一体で自尊心をくすぐるような面があるからだと思います。
しかし、越谷市は私が先日の投稿で紹介したようなオープンレジーム(=裁量ではなくルールを重視し、既得権のない新規参入者にも開かれた制度)な市政の枠 組みの構築が全く出来ていませんし、情報公開の面においても、IT化による行政の効率化においても遅れをとっています。また、それらのほとんどは、莫大な 公的支出を行なわずとも、意識を切り替え、組織を再編し、愚直に先進諸国や先進自治体のやりかたをなぞり、定評のある無料のフリーソフトを導入したりする だけで簡単に行なえることです。

http://yoshito-terashima.com/%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%8E%E…/

また、民間の生産に関しても「日本からはAppleやGoogleのような企業が生まれていない」「イノベーションを生むような文化的土壌がない」という ような意見がありますが、これは経済や価値や人間の可能性というものを非常に低く見積もった見解だろうとおもいますし、国際競争に勝つことだけが働くこと の目的ではありません。
例えば、職場でくじけてしまって退職し、日がな一日をインターネットに費やしている無職の若者でも、子供達にパソコンを教えたり高齢の事業者の作業を助け ることが出来ます。そして、そうやって他人を助け、他人の生産性を底上げすることで、トータルで国際企業の社員に負けないだけの「価値」を生み出すことは 十分に可能です。
私は昨年、高齢者の方々への年賀状をデザインするためのパソコン教室を開催しました。一ヶ月かけて手書きで大量の年賀状を書いておられたかたにとって、そ れが1日で出来るようになれば、私はその人に29日の自由になる時間という価値を提供したことになります。私は憚ること無く「良い仕事」をしたと公言でき ますし、それは誰にでも可能だと考えています。

3.財政と経済動向、および開拓されていない市場
また、成長の話をすると高齢化と共に出て来るのが財政赤字ですが、越谷市の実質公債比率(収入における債務の返済の割合)は10%前後であり、注意水準の 18%にはまだ至っていません。さらに、今後経済が今のインフレ基調で推移すれば(その可能性は昨今の日銀人事を見る限り非常に高いと思います)、マネー の価値が生産や投資に比べて下がるわけですから、債務の重みも必然的に低下します。

私は今現在の越谷の財政には注意を払いつつも、失業者(お金と違って失業期間が長くなればなるほど悪化します)や、安倍政権が関心を持っていない貧困対策に対して、より危機意識を持つべきだと考えます。

財政規律に膨大な時間を費やし実質公債比率が(安全圏の)10%から(安全圏の)5%に低下したからといって、その間に失業と貧困が拡大し、彼らが本来行 なえたはずの仕事を行なうことができず、失業期間が長引きすぎて精神的に駄目になってしまったり、あるいは自殺(=失業率と最も相関のある現象です)の増 加をもたしてしまったら元も子もありません。

お金という目に見える指標につられて、目に見えづらい市民の人生(=ある人間が生涯で生み出す価値や人間関係の全て)を毀損する愚は避けるべきです。

私は、公共事業は過去の失敗に学んで「リスク」「経営権」「責任」の一致が守られたかたちで行なわれれば決して悪いことではないと考えていますし、また、越谷市では現在、ニーズがある一方で土地当たりの収益率が低く民間が手を出しにくい
1.育児支援
2.高齢者福祉
3.貧困家庭の子供達のための教育
という未開拓の「市場」が膨大にあると踏んでいます。
私は、行政は積極的にこれらの領域で活動を行なっているNPOや個人に投資をすべきだと考えます。彼らのような社会起業家の生み出す価値と雇用は越谷の未来を明るいものにしてくれるだろうと確信しています。