技術的失業とシンギュラリティについて(2014年12月24日)


「技術的失業」という言葉は聞きなれませんでしたが、なるほど面白いと思いました。

「技術的失業」とは技術の進歩により、今まで5人で行なわなければならなかった作業が1人で出来るようになってしまったりすることにより発生する失業のことです。はじめは産業革命が起こった19世紀に経済学者によって提唱され、その後一旦忘却されたものの近年ITの普及によって再検討されるようになっているようです。

近年話題の経済学者トマ・ピケティは「21世紀の資本」の中で現在の資本分配率が近年上昇傾向にあり、最終的にこれが上がりすぎると、能力主義や国民間の平等という民主主義の原則と資本主義経済が矛盾(=能力のある人間よりも親がお金持ちのセレブの方が発言力をもつようになる、所得格差が開き過ぎてお金もちの国民とそうでない国民が分裂する)を来すようになり、危機的な状況に陥るとも主張しています。

「技術的失業」が蔓延することで、機械や人工知能が人間の事務作業や肉体労働を自動化して雇用がなくなり、最終的に生産設備を持っている産業資本家と金融資産家が社会の全てを手にすることになるという未来像は、資本家が労働者を必要とせず利益をあげる社会ですから、資本分配率が極限まで上昇してしまった社会とも言えそうです。

この記事の筆者は概ね上に記したような展開は避けられないとした上で、そういった機械が勝利した世界へ人間が軟着陸するための手段としてベーシックインカムを提唱しています。

http://synodos.jp/economy/11503

冒頭にも書いたように、技術的失業は19世紀から危惧されていたことですが、なくなった仕事以上に、あたらしい仕事も無数に生まれているのも確かです。簡単に人間の仕事がすべて機械に置き換わってしまうことはなかなか想像がつきません。

しかし、記事にもあるようにシンギュラリティ、つまり価値観がひっくり返ってしまう特異点が歴史上何回かあったことも事実です。もしそのような時が訪れた時もそれをつかんで、的確な政策を打ち出せるように社会や経済の情報に注意深くあらねばならないと感じました。

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